町内会と隣組

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 翼賛体制の下部機構として、各町には町内会があり、その下に隣組(隣保ともいい、一隣組は一〇戸ないし一五戸ぐらいであった)があった。浜松では昭和十五年三月に総代会を廃止し、同年七月ごろにはすでに町内会が発足し、隣組の組織も成っていたが、市が公式に設置を認めたのは同年十二月であった。また市域編入の旧四町村区域大字区名を町名に改称した。町内会には町内会長(浜松市が委嘱)・副会長・顧問・会計・委員等があった。そして外郭団体の消防組(警防団)・壮年団・青年団・国防婦人会(昭和十二年結成)の役員があるのが普通であった(『亀山町史』)。隣組には組長がおかれ、毎月一回各戸から出席者を出す常会が開かれ、また回覧板を廻して連絡の機関とした。住民の登録・生活物資の配給・国債の割宛消化・貯蓄奨励・金属回収・国防献金・出征軍人の歓送・防空活動等ほとんどが町内会・隣組を通じて行なわれた。【連合会】十六年には浜松市内町内会は九十九を算したので、七月には十二区に分けて町内会の連合会を組織した。なお、十八年には地方制度の改正によって町内会も隣組も法的に認められるようになった。