織物業

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 【禁綿令 制限と合理化】織物業は昭和十二年より十三年にわたって国内向の綿製品の製造・加工・販売を禁止した禁綿三法令や、国外向の綿製品の輸出統制等の諸法令規則の実施により打撃をうけたが(木綿なし時代といわれた)、つづく十四年の九・一八禁令(物価・賃金・運賃等の統制令)、十五年の七・七禁令(奢侈品等製造販売制限規則)により綿花は輸入制限を、綿糸は生産制限を受け、国内向・国外向の綿製品は急激な減少をみるにいたった。
 
【織機供出】このため操業時間の短縮化となり、中小の織機業者は廃業合理化を迫られ、一時は織機数四万台に上った遠州織物も、企業整備によって設備の六割は供出を命ぜられ、まったく衰微してしまった。【統制組合】また商工省の指示による一県一組合の方針にそって静岡県では十六年三月に静岡県織物工業組合(永久社・天竜社・北盛杜・長久社などが合併、理事長加茂喜一郎)が成ったが、十九年には県織物工業統制組合(昭和十八年制定の商工組合法による)と改称した。下表は遠州織物の生産統計である(『浜松発展史』)。
 
(表)織物生産額
年次広巾小巾合計
万円万円万円
昭和6年 2,1431,769 3,913
〃12年13,7311,72015,451
〃13年 9,9732,19312,167
〃15年 8,135 916 9,051
〃17年 4,8071,310 6,118