企業整備にともなう転廃業者の指導は焦眉の急であった。あたかも戦線は拡大の一途をたどり、満州の開拓は北方警備の上からも重要なことであった。そのため企業整備による余剰労力を満州へふりむけることとなり入植が奨励された。【浜松村】浜松市でも市役所側から農務課長、会議所側から事務主任が出張し視察調査を行なった結果、龍江省鎮東県白丹昭の一万三千五百町歩に浜松市の分郷として白丹昭浜松村三百戸を建設することを決定した。入植希望者は「浜松村建設拓士」と呼ばれ、引佐郡引佐農学校に併置の静岡県拓務訓練所を卒えると、昭和十七年末から十八年にかけて渡満、入植した。開拓団と称しその数五十戸であったという(「満州開拓浜松村建設拓士募集書」)。