目次
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第五章 太平洋戦争と浜松
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第一節 戦時体制下の浜松
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第三項 決戦体制下の教育
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国民学校と青年学校
国民学校 報徳運動の復興
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昭和十六年四月一日に「皇国ノ道ニ則リテ初等普通教育ヲ施シ国民ノ基礎的錬成ヲ為ス」を目的とし小学校は国民学校と改称された。そして行とか道場とかいう言葉が流行した。蒲国民学校が「学校は児童を日本的に鍛える道場なり」として「黙動」を説いたのもその頃で、報徳運動が見直され校庭に二宮金次郎の像を建てるのが流行した。