体育の強化

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 教育の軍隊化が目立ち、体力の向上と規律と作法が強調され、団体運動の流行となって浜松市では国民学校・男女中等学校・青年学校合同の青少年体育大会を昭和十二年より開催しはじめたが、特に十七年六月一日の市営運動場での第七回大会は対米英戦争最初の年とあって一万数千名が参加し盛大であった。【健康児】また個人の健康も重視され、朝日新聞主催の第八回日本一健康優良児に県居小学校六年生河野芳子が表彰を受けたのは昭和十二年であった。【武道】武道も重視され男子の木剣体操、女子の薙刀体操がとりいれられ、十八年三月二日浜松市青少年武道大会が開催されている。野外強歩遠足もしばしば行なわれた。勤労奉仕が唱えられ、十四年よりは浜松市内男子中等学校の生徒が浜松市営運動場や浜松飛行基地の整地に出動している。女子中等学校の生徒は学校菜園やヒマの栽培に励み、小学校児童は稲の害虫駆除などに協力している。浜松師範学校生徒が勤労奉仕隊として渡満し労役に従事したのも十五、六年ごろであった(『静岡大学教育学部同窓会記念誌』)。

女子学童の薙刀体操


女子中等学校生徒の稲作協力