目次
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第五章 太平洋戦争と浜松
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第一節 戦時体制下の浜松
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第三項 決戦体制下の教育
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学徒動員
中等学校令改正
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高等女学校の英語科が敵国語ということで随意科目となったのは昭和十七年七月であったが、そうした動きのなかに中等学校令が十八年一月改正、公布された。これは十六年の国民学校令に応じ中等学校教育も皇国の道に則して国民錬成の境となすのを目的とするものであったが、計画通りに行なわれなかった。つづく三月には師範教育令の改正となって浜松師範学校は静岡第二師範学校となった。