目次
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第五章 太平洋戦争と浜松
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第一節 戦時体制下の浜松
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第三項 決戦体制下の教育
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学徒動員
学徒動員
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こうしたうちにも戦局は悪化するばかりで、昭和十九年二月「決戦非常措置要綱」に基づき①学徒動員の本格化②校舎の軍需工場への転用化③学校工場の実施が本決まりとなり、同年四月から商業教育は不要ということで、浜松市内の商業学校は浜松第二商業学校を残しすべて工業学校(浜松商業学校は浜松第二工業学校となって機械科・金属工業科・電気通信科が設置され、興誠商業学校は興誠航空工業学校に改名になったのはその例である)に転換した。