学校工場 勤労令 授業停止

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 昭和十九年五月前後には学校工場が開場され(すでに四月には遠州鉄道へ男子学徒は車掌・運転手、女子学徒は改札手として配属されている)、六月には中学生以上は学徒動員の本格化によって学校工場(女子学校が多かった)をはじめ他の工場・輸送・食糧増産・土木工事に従事することとなったが、遂に八月の学徒勤労令及び女子挺身勤労令の公布となった。このとき浜松第一中学校では九月に三・四年生が動員、一・二年生は運動場の壕掘りに専念し、空教室には海軍経理学校が入り(『浜松北高等学校八十年史』)、西遠女学校では一年生は校庭で畑を作り、二年生から四年生までは東京無線・遠州織機・河合楽器・東洋木工・鈴木織機などで軍需品の製造に従事した。また女子挺身隊(昭和十八年九月、二十五歳未満の未婚女子の動員決定、これを挺身隊と称した)は鉄道の車掌勤務や豊川海軍工廠に動員された。しかし翌二十年三月に決戦教育措置要綱が定まると、同年四月より一年間の授業停止となって全学徒(国民学校初等科を除く)は食糧増産・軍需生産・防空防衛・重要研究に総動員されることとなった。例えば浜松第一中学校では各学級を小隊となし、これを合せて中隊さらに大隊に編成している。そして安間川改修工事に出動している(『浜松北高等学校八十年史』)。
 
(表)終戦時(昭和20年8月15日)における生徒の動員状況
学校名旧制校名学年人数動員先工場名場所校舎の転用・死亡数
浜松北浜松一中5150飛行部隊浜松整備工場浜松市西山町海軍経理学校の疎開先校舎として転用
4260中島飛行機製作所新居工場浜名郡新居町
3100〃 〃
3100〃三島工場浜松市三島町
380東洋木工KK〃常盤町
浜松西浜松二中5陸軍航空分廠〃三方原町死亡7
5.4鈴木織機KK浜名郡可美村高塚
450石川鉄工所浜松市砂山町石川鉄工にて生徒5,職員2被爆死
450日蓄木工KK浜名郡舞阪町
浜松市立市立浜松高女530豊川海軍工廠豊川市死亡1
4180日本楽器浜松工場浜松市中沢町
4100富士紡績(後豊川工廠に合併)浜名郡湖西町鷲津
3100日本無線浜松市伊場町
350東京無線〃   〃
浜松工業浜松工業色染52土木・農作業手伝い
紡績49富士紡績工場駿東郡小山町
建築50土木・農作業手伝い
図案50河合楽器浜松市龍禅寺町
機械100浅野重工〃中島町
浜松農蚕援農作業北海道援農中死亡1
浜松商業浜松商業5140河合楽器製作所・日東航空KK浜松市昭20.4.30 空襲にて生徒10,職員1死亡
杉浦精密KK浜名郡可美村
4150大同製鋼KK名古屋市
3170浜松国鉄工機部浜松市伊場町
興誠商業興誠航空工業4190大同製鋼星崎工場名古屋市南区星崎校舎を海軍経理学校兵舎に転用(約250名)。死亡1
3230日本楽器製造KK天竜市二俣町
浜松女商私立浜松女商458日蓄木工KK浜名郡舞阪町講堂―陸軍警備隊(約300名駐屯)。
浅野重工業にて死亡14
454浅野重工業KK浜松市中島町
389浜松市航空機工業KK周智郡森町
340共同印刷KK〃犬居町
専攻45日本楽器天龍工場浜名郡飯田村
誠心誠心高女90昭20.3卒,挺身隊 豊川海軍工廠豊川市昭19.10より1階,地下室講堂を東洋木工の学校工場とし,
飛行機の落下タンクを製作。
昭20.4.30空襲により全焼。
豊川海軍工廠にて生徒10(内挺身隊2),
東洋木工にて職員2死亡
60昭20.3卒(4年制)挺身隊浜名郡可美村高塚
50鈴木織機KK・東洋木工KK浜松市常盤町
490鈴木織機KK・東洋木工KK
355東京セロファンKK浜松市早出
350日本蚕糸浜松工場浜北市中瀬
信愛学園信愛女子商業4100日本楽器製造KK浜松市中沢町(現東陽興業工場)
2.3200
西遠女子学園西遠高女430鈴木織機KK浜松市生徒29,職員1死亡
淑徳高女475東洋木工KK海軍暗号製作(海軍駐屯)
350河合楽器KK
330遠州織機KK
220東京無線KK軍ミシン縫工工場(仕事未着工)
181(卒業後引続)造兵廠 鷹来製作所愛知県春日井市鷹来本校(学校工場)傷病者収容所
町立笠井女商5105日東航空KK浜松市浅田町
552大東機工KK浜北市中条
4126八興航機KK(中島飛行機疎開工場)庵原郡興津町八木間
浜松工業専門学校20’M豊川海軍工廠豊川学校下宿 死亡1
沼津海軍工廠沼津艦砲 死亡3
芝浦工作機械
20’A三菱航空大江
川崎航空岐阜
川西航空甲南・姫路
海軍航空技術廠横須賀
中島航空半田
23C日本軽金属清水

(『静岡県郷土資料集』『浜松工業会誌佐鳴第50号』)