食糧不足

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 【家庭菜園】配給のみでは食糧が不足するので、庭や空地を利用して甘藷・かぼちゃ・茄子(なす)・胡瓜(きうり)・豆(まめ)類の栽培が家庭菜園と称して流行した。しかしこのような俄(にわ)か百姓では食糧は足りようがなく、リュックサックを背負って農村へ買出しに行く者が多くなった。【物々交換】といっても農村が必要とする衣類などと農産物との、それも闇値相場の物々交換で入手するほかなかった。これをたけのこ生活といったが、主食品などはせっかく入手しても統制品のため発見されると警官に没収された。鮮魚も青果物も配給といっても実際は皆無同様で、出征祝にも酒も魚も手に入れられなかった(六三五頁参照)。【自家製塩】食塩は海水による自家製塩が流行し、甘味の不足は干柿で補い、煙草の代用には野草を乾燥させて代用することが行なわれた。平素喫煙しない者でも煙草常用者として申請し、煙草の配給を受けこれを物々交換の一手段とすることも行なわれた。また「かつぎ屋」といい、買出しを専業とする者までがあらわれた。そして農家の生活が羨しがられた。