【待避壕】このころになると待避壕(たいひごう)(防空壕とも言った)を掘ることが奨励され、防火用水槽・砂袋・消火用火叩きの用意されない家はなかった。【もんぺ】男子は国民服、女子はもんぺ姿で、胸元には住所・姓名と血液型を記した白布を縫いつけ、防空頭巾と運動靴の着用が普及した。女子学童の服装が急速に洋服化したのもこの時代であった。【灯火管制】灯火管制も十七年四月米機の本土初空襲より強化され、灯火を外へ洩らすことが厳禁となり、夜は真の闇(やみ)であった。【防空演習 待避訓練】隣保単位の防空演習、待避壕への待避訓練はもちろん、水を充したバケツをリレーする消火活動もしばしば実施され、主婦たちの出動が要請された。
防火演習(板屋町付近)