目次
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第五章 太平洋戦争と浜松
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第一節 戦時体制下の浜松
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第四項 銃後のくらし
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配給制の進行
献納運動の強化
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そのあいだにも国防献金(昭和十六年より実施)・梅干献納(十六年八月国防婦人会浜松市南分会は梅干を八升樽で千百樽を献納した)・慰問袋の発送・金属の回収・報国債券の消化・軍用機の献納醵金(きょきん)などが奨励され、市民は生活の不自由をしのびながらよく協力した。【金属供出】浜松名物の田町の青銅大鳥居は十七年九月に、これと前後して高山仰止元城小学校校長・大賀辰太郎西小学校校長・宮本甚七(天林寺境内)・松島十湖(鴨江寺境内)の銅像も金属回収により撤し去られた。
国防婦人会の梅干献納