沖縄戦出動

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 サイパン攻撃は十一月二日から十二月二十六日まで八回にわたって浜松重爆撃部隊をふくむ各基地との共同作戦で実施されたが、戦果が十分あがらず中止となった。それのみならずマリアナ方面の航空作戦も翌二十年三月には打ち切りとなり、浜松基地重爆撃部隊の一部(飛行第七聯隊、同第一一〇戦隊等)は急遽沖繩方面に転用されることとなった。その間、二月には軍用機輸送の任にあたり台湾沖で沈んでもどらなかった浜松基地の重爆撃機もあった(浜松基地ヘ着陸のさい、投下し尽した筈の爆弾が残っていて現浜北市小松付近で落下し民家数戸が破壊され死者二名、負傷者数名を出すという事故もあった)。
 
【特攻隊】四月から始まった沖繩戦には、浜松重爆撃部隊員は特攻隊として義烈空挺隊を編成し、五月二十四日沖繩島の中と北との飛行基地へ九機で突入し、乗員三十二名は沖繩の空に花と散った。六月沖繩が失陥すると浜松へ引上げた(朝雲新聞社『戦史叢書 本土決戦準備(1)』)。