最初の空襲

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 空襲警報に驚いた浜松市民が白昼まざまざと敵機(B29)をみたのは、投弾はなかったが昭和十九年十一月一日であった。つづく市内に全半壊七百戸を出した同年十二月七日の東南海地震はなんとなく戦局の前途に不安の予感を抱かせたが、十二月十三日になると市の東部地域(佐藤町方面)が焼夷弾攻撃を受け全半焼四十五戸を出した。県下では浜松市と清水市とが重要防空都市として指定されていたが、これが浜松の受けた最初の空襲であった。