報告によれば六月十八日の浜松被害工場の状況は、百十九工場のうち疎開先で復旧可能のもの三十、復旧するや否やを目下協議中のもの二、復旧未定のもの二十四、復旧不可能なるもの五十五の惨状で、罹災工場の再建援助と労働力保持は焦眉の急であった。遠州地方各種工業の戦前に対する戦災率は六十三%で、前頁下表のようであった(『浜松発展史』)。また交通関係では営業用乗合自動車六十二輌中二十七輌焼失し(市営バスは七六輌残存、営業を中止した)、その他の自家用諸自動車は八十%が焼失、遠州鉄道株式会社経営の西鹿島線は浜松駅前と助信間二・五キロメートルが不通となり、浜松鉄道株式会社(市内元城町)経営の奥山線は東田町と元城間一・三キロメートルが不通であった(静岡新聞社『大空襲 郷土燃ゆ』)。ついで六月二十六日には浜松駅仮設ホームを中心に旭町・板屋町方面に爆弾攻撃があり死者十六名を出した。
(表)各種工業の戦前に対する戦災率
| 機械 | 工作機 | 鋳造 | 製材 | 木製品 | 綿布 | 染色 | 土建 | 代業 | ゴム | 印刷 | 食料品 |
% | 70 | 70 | 60 | 100 | 33 | 70 | 50 | 35 | 60 | 10 | 93 | 90 |