被爆地域

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 それが遠州灘からの敵艦隊の艦砲射撃と分ったのは後のことだったが、報告によると最初は軍事施設のある市北部の名残・追分・上池川方面(弾着北限は和合町銭取付近といわれた)に弾道音と弾着音が激しく、次第に鹿谷(しかたに)から浜松城址方面へ移り一旦砲声は跡絶えたが、再開後は浜松駅をはじめ伊場の鉄道省工場等の交通施設に、ついで東部の浅野重工業等軍需工場地帯へかけて盛んに弾着があり(東伊場町二二〇発の落下が最多で、中島町の一五二発がこれに続いた)、砲声のやんだのは三十日の午前零時半すぎであった。また白羽海岸の監視哨からの報告によると、敵艦隊は八隻で遠州灘を東から西へ航行しながら砲撃を行なったということで、被爆地域は①浜松駅より寺島方面②中島町浅野重工業会社工場より相生町鈴木織機工場方面③東伊場町浜松鉄道工場方面④上池川町・下池川町天林寺方面⑤名残町師範学校方面に及んだ、ということであった。【犠牲者一七七名】市内には砲弾のうがった直径五、六メートルもある穴が千六百か所(不発弾二〇弾)、全壊三百二十四戸、死者百七十七名に及んだ。死者の大部分は六月十八日の空襲に人々が助かった浜松駅前の防空壕に砲弾が直撃したための五十三名と、駅東方で立往生していた列車の乗客であった。恐怖の夜があけると、二俣(ふたまた)街道・姫(ひめ)街道・金指(かなさし)街道は浜松から北遠地方へ疎開する人の群がつづいた。これを見つけては敵の艦載機が機銃掃射した。【流言飛語】敵弾よけのまじないなどの流言飛語がしきりに行なわれたのもこのころであった。
 こえて八月一日には、焼夷弾攻撃による空襲が馬込川流域(野口町八幡国民学校全焼)にあった。
 
(表)浜名郡被害状況
死者200
重軽傷347
行方不明4
倒壊住家全壊168
半壊497
小破430
非住家全壊98
半壊132
小破153
焼失住家全焼354
半焼23
非住家全焼275
半焼2