六月に入ると国民義勇兵役法が公布された。男子は満十五歳以上六十歳まで、女子は満十七歳以上四十歳まで、義勇兵役に服務させる規定で、まさに挙国一致全国民が打って一丸となって敵にあたる構想で、義勇隊は地域(市町村・町内会・隣保)・職域(官庁・工場等)・学校(国民学校初等科生を除く)ごとに編成の計画であった。これにより浜松市では在郷(ざいごう)軍人神田少佐が隊長、中野学校出身の見習士官がこれを補佐し、市役所内に浜松市義勇戦闘隊本部を設け編成に着手した。そしていちはやく職域(市内軍需工場・浜松駅・浜松鉄工場)方面が先ず完了した。