戦争と浜松市民

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 昭和六年の満州事変から十四年近く、米英との戦争開始になってからでも三年九か月におよぶ戦争に浜松市民は生活の苦難に耐えて、よく銃後を護ってきた。浜松市長も特に戦局の重大化した十九年九月十八日には異例の浜松市告諭第一号をもって、敵が「本土上陸ノ機ヲ窺フ」とし「必勝ノ信念ノ下其ノ総力ヲ米英撃滅ノ一点ニ集中」し、これを「撃砕シ以テ宸襟ヲ安ンジ奉ランコトヲ期スベキナリ」(『浜松市公報』)と、呼びかけるところがあったが、すべては虚しく終ったのであった。