[行政機関の復興]

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【浜松測候所】
 敗戦後、市役所をはじめ税務署や郵便局、裁判所などは焼失を免れた建物に移転して仕事を続けていた。市役所は浜松銀行集会所や中部配電の建物の一部を借り、郵便局は隣接の電話局に、裁判所は浜名郡小野口村の疎開先の寺院に、税務署は同郡積志村の織物査定場跡に移っていた。専売局浜松出張所、浜松勤労動員署、食糧営団配給所なども中心部で奇跡的に焼け残った中部配電の建物で仕事を続けた。浜松測候所は空襲で全焼したが、避難先は焼け跡であった。それは測候所に造られた防空壕で、一日も休むことなく業務を継続したからで、九月には幕舎(テント)で業務を行った。戦時中は天気予報が敵に漏れるということで新聞への掲載や放送が行われなかったが、観測業務は続き、八月の下旬からは天気予報も復活したので再建が急がれていた。このようななか、官公庁の電話は職務遂行上必須のものであり、復旧工事を急いだ結果、昭和二十年九月末日までに浜松警察署、西遠地方事務所、浜松市役所、浜松駅、専売局浜松出張所、浜松勤労動員署、浜松測候所に電話が復旧した。浜松電話局の調査によると昭和二十年八月に復旧した市内電話は三十、九月は四十四となっている。
 
【浜松市役所】
 昭和二十年九月一日に浜松市参事会が開かれ、浜松市役所の仮庁舎建築を決め、工費二万四千八百円で着工することになった。仮庁舎は利町の諏訪神社東側の元の庁舎があった場所で、約二カ月の突貫工事で同年十一月上旬に完成、物資課と経済課等が新庁舎に移転した。次いで同年十二月下旬に第二次の仮庁舎が完成をみたので鴨江町の中部配電から援護課、厚生課衛生係、社会係が、また、栄町の浜松銀行集会所から教育課が、利町の浜松市公会堂から経済課等が移転、さらに翌年一月十六日には税務課と会計課が新庁舎で業務を開始して、市役所の機能は次第に高まっていった。
 
【浜松郵便局】
 なお、浜松郵便局は昭和二十二年三月十日に焼け跡に新築された木造二階建ての庁舎に移転した。浜松勤労動員署は昭和二十年十月に浜松勤労署と改称し、昭和二十二年四月七日に栄町の新庁舎に移転し、浜松公共職業安定所ならびに浜松公共労働安定所として再出発をみた。浜松測候所が三組町の新庁舎に移転を完了し、正式に業務を開始したのは昭和二十三年六月十五日のことであった。