[米軍進駐のうわさと市民]

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【米軍進駐】
 昭和二十年八月二十八日にアメリカ占領軍の第一陣が神奈川県の厚木飛行場に到着、九月二日に降伏文書の調印が行われた。これにより、日本は連合国軍(ほとんどは米軍)の占領下に置かれることとなり、米軍は地方都市にも進駐を開始した。浜松市にも米軍が進駐するという話は十月下旬からあったが、浜松への進駐準備として十一月一日に米第六軍の軍人が宿舎候補地(第九十七部隊跡など)の調査に訪れた。これにより名古屋在駐の米第六軍の進駐が近日中にあるらしいとの情報が各方面に流れた。これを受けて浜松警察署長は事故防止のための対策をまとめ、市長に対してこれを市民に徹底するように依頼した。これが十一月二日に浜松市長名で各町内会長あてに出された「進駐軍ニ関スル件」(『新編史料編五』 七社会 史料 )である。これには自動車は連合軍の自動車を追い抜かないこと、みだりに連合軍将兵や自動車に接近したり、物珍しげに集まって見物しないこと、物事を尋ねられたり依頼を受けた時は親切、明朗に正しい態度で応対することなど六つが記されていた。こうして連合軍の進駐を無難に迎えるように市民に通達していたが、十一月六日の進駐当日になって中止となり、磐田町に変更された。