戦災都市

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 浜松市の性格としては、工業を主とした商工業都市を経とし、工業方面の学園ならびに市民保健上の田園都市の性格を具備するを緯とした都市とする。市の規模は市民の自給生活経済圏を確立するため周辺農村地域の編入を必要とし、その地域は中ノ町・和田・長上・芳川・可美・新津・入野・篠原の各村と舞阪町を含むものとしている。都市の構成については、緑地や公園がほとんどないため、画期的考え方でこれらの施設を充実したいとし、馬込川と新川両岸、及び市街地を貫通する東海道線沿線に幅員三十メートル内外の緑地帯を付帯し、市民の保健維持や、都市美、防災に寄与させるとしている。公園としては面積が五~五十ヘクタール程度のものを五~七カ所(候補地として松城、鴨江、中田島など)を配置する。道路計画では既定の計画ではやや狭いので、浜松駅前より鍛冶町・連尺町を経て将来官公庁街となる予定の元城、松城方面への道路は幅員五十メートル以上とし、都市美を主眼として街路を構成し、併せて防災道路とする。国道線や市外に通じる主要幹線、市内の局部的主要路の幅員は三十六メートル、その他、将来路面電車を予定する道路は幅員二十五メートルとする。都市の商店街について、盛り場は浜松駅正面地区や中心部(おおむね旭町・伝馬町・連尺町・神明町・田町・板屋町・新町方面)をブロックとした所とし、その他の地区の主要部分にも街道沿いに設置を考慮する。工場地区は集団的大工場の設置を必要とせず、分散的に設置するのが妥当で、市の東部・南部・北部の低地を主とした地域とする。住宅地域は市の地形上、中心部の西部、北部の丘陵地帯を主として、工業地域や商業地域にも適当に介入させるとしている。新聞は、浜松市の机上案が都市計画の実際面にどこまで生かされていくか大きな興味と期待とを市民に投げ掛けていると報じていた。これらを基に、藤岡市長は同年三月、「…内容の充実した中都市建設に主眼を置く」と述べた。昭和二十一年九月十一日、第一次吉田内閣時の国会で特別都市計画法が制定された。これは従来のものと違い、戦災復興のための都市計画法である。この特別都市計画を行う都市(戦災都市)は同年十月九日の内閣告示第三十号をもって浜松市を含む百十五都市と決まった。