【参議院議員選挙】
戦後民主化の波を受けてこれまでの貴族院は廃止され(法律的には昭和二十二年五月二日まで存続)、代わって参議院が誕生した。初めての選挙は昭和二十二年三月二十日に公示され、四月二十日に投票となった。参議院議員の選挙は定数二百五十名で、都道府県を一区とする地方区の定員は百五十名、その内静岡県の定員は四名、全国区は百名であった。静岡地方区に立候補したのは八名(後に辞退者一名)、天竜川以西での立候補者は浜松市の川上嘉市(日楽社長)であった。選挙疲れと比較的なじみの少ない候補者が多かったためか、盛り上がりに欠けた選挙となり、新聞には「民主政治に暗い影」「記録破りの棄権率」「農村より都市が無関心」などの見出しが出るほどであった。選挙の結果、沼津の農業会関係の森田豊寿と浜松の川上嘉市が任期六年の上位当選者となり、掛川の河合弥八ほか一名が任期三年の下位当選者となった。投票率は全県で六十九・二%であった。
【総選挙 中選挙区制】
前年の二十一年四月の総選挙から一年、衆議院はわずか一年後の昭和二十二年三月三十一日に解散となった。これを受けて参議院議員の選挙からわずか五日後の四月二十五日に投票となった。今回からは静岡県を三つの選挙区とし、各区から四~五名の当選者を出すという中選挙区制で単記投票となり、以後この制度は長く続いた。浜松市を含む遠州地方(袋井町以西)は第三区となり定員は四名となった。前回当選した長谷川保と廿日出厖も第三区に立候補したが、四月八日になって長谷川と廿日出が公職追放者と決まった。長谷川は大政翼賛会関係者、廿日出は好ましからざる人物ということであった。このため、長谷川と廿日出は立候補を辞退せざるを得なくなり、当選したのは磐田町の竹山祐太郎(国民協同党)、篠原村の鈴木里一郎(日本自由党)、浜名郡赤佐村の坪井亀蔵(国民協同民主党)、浜松市の川合彰武(日本社会党)の四氏であった。投票率は浜名郡が郡市中第一位で八十四%、浜松市は県平均を下回る七十・四%で、女子は浜名郡が郡市中第一位の八十二・六%であったが、いずれの郡市でも男子に比べて低かった。