[地方議会議員選挙]

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【県議会議員選挙】
 四月選挙の締めくくりとして四月三十日に行われた県議会議員の選挙は郡市を選挙区として行われたため、身近な候補者が多かった。また、市町村議会議員の投票と重なったこともあり、これまでにない盛り上がりを見せ、投票率は浜名郡で九十%を超え、浜松市でも七十八%を超えるまでになった。浜松市では加藤忠七郎(日本社会党)、和久田好造(民主党)、小野近義(中立)の三氏が、浜名郡では豊西村の松島舜二(国民協同党)ほか五人が当選した。
 
【浜松市会議員選挙 林ひで】
 浜松市会議員選挙には定員三十六名のところ、なんと七十七名が立候補し、新聞によれば「混戦をつゞけている」とある。続いて、選挙は地盤や情実に影響される傾向が強いなか、新興勢力の社会党がどの程度進出するかが注目されるとしている。新聞には「地方自治は選挙から」「忘れるな あすの一票」「民主的責任だ!きようの一票」のスローガンが並んだ。開票の結果、無所属で、いわゆる町の有力者が多く当選したが、戦争前は迫害を受けてきた社会党は二名、共産党は一名が当選を果たした。また、初めての女性市議・林ひでが誕生した。林は戦前に方面委員や婦人会の役員として活躍した女性であった。
 
【日本国憲法】
 昭和二十二年四月には男女平等の下での二つの国政選挙と地方自治体の首長と議員の選挙が行われ、形の上では民主主義下の政治が行われることとなった。そして、五月三日には日本国憲法が施行された。新聞の見出しには「三日は新日本の黎明」「民主日本の誕生日」などの文字が大きく出ていた。浜松でも多彩な記念行事が行われた。市役所や警察、学校では記念式典を挙行し、講演会を開いて憲法の精神を学んだ。市の連合青年団は戦争放棄という世界に類例のない新憲法実施を記念し、神輿を担いで市内を練り歩き、五社神社で決起大会を開いて民主憲法の精神に則り、青年が中堅となって立ち上がることを誓った。また、松菱は新憲法実施を祝し、記念大売り出しを行い、売り上げの一部を市内の小学校の復旧費に寄付した。