空襲で全焼した市内の国民学校は元城・南・西・東・県居・北・八幡の七校に上った。これらの復興と爆弾などにより損壊した多くの国民学校の校舎の復旧には莫大な予算を必要とした。坂田市長就任時の四月にはこれまでなかった新制中学校が発足、市内には七つもの新制中学校を建設しなければならなかった。また、全焼した市立の高等女学校と女子商業学校の復興も急がれた。厳しい財政下、市当局は全力でこれに当たり、総じて浜松の学校の復興はほかの市に比べて遜色(そんしょく)のない状況であった。詳細は第三節教育 第一項を参照されたい。