復員

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 昭和二十年八月十七日夜飛行班の兵士には、焼け残りの建物の中で、物資の分配や身分証明書・旅費・退職金等の受け渡しがあった。十七日か十八日に伊平(浜松市北区引佐町)方面の民家に預けてあった軍需品の引き取りに行ったが、その人物の預けていた器材・資材は近くの住人に持ち去られたのか跡形も無くなっていたが、咎(とが)める人もいなかった。将校・軍属等もいつの間にか帰郷していた(『浜松陸軍飛行学校の思い出』)。この件に関連するものとして、八月二十七日付で、浜松市役所より浜松憲兵隊からの通達が市内の町内会長あてに出されている。それによれば「最近陸軍各部隊ヨリ…本人又ハ指揮官等ノ考ヘ違ヒニ依リ、正式命令ニ依ラズ帰郷セシメタルモノ有之…」とあり、原隊復帰を命じていた。(『新編史料編五』 二軍事 史料2)。敗戦による軍隊の混乱の様が想像される。宇都宮にあった教導飛行師団の第四教導飛行隊(昭和二十年七月、浜松教導飛行師団が名称変更)の正式な部隊の復員完了は八月二十九日であった。