[三方原教導飛行団]

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【毒ガス 三方原教導飛行団 化学戦】
 三方原教導飛行団は昭和十九年四月浜松飛行学校から独立し、中部第九十七部隊の使用していた三方原飛行場の一角にあった三方原の演習廠舎にあった。部隊の任務は航空化学戦の実行と教育であった(矢田勝「浜松陸軍飛行第七連隊の設置と十五年戦争」『静岡県近代史研究』第一二号)。終戦となり、部隊の存在を隠匿する必要上、二十年八月の十六日か十七日ころ部隊所有の軍需品(毒ガス等)の投棄を急遽(きょ) 命じられたため、三方原教導飛行団の団員ら二十名ほどで浜名湖まで運び、舟で中心部辺りに投棄したと言う。暗闇の中での作業であった。その後、同年九月十九日より十一月三十日にかけて、部隊関係者は占領軍(第八軍化学戦部・極東空軍等)から化学戦について尋問を受けた(『新編史料編五』二軍事 史料4)。この詳細については村瀬隆彦「静岡県に関連した主要陸軍航空部隊の概要(下)」『静岡県近代史研究』第一九号を参照されたい。