終戦処理業務

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 昭和二十年八月下旬都田の本部を引き払い、元の演習廠舎に帰り、本格的な終戦処理業務に当たった。鈴木千代松は本部企画科にいて、分廠各工場の疎開や民間倉庫の借り上げ、飛行場周辺の民有林内の飛行機工場の開設、飛行機誘導経路の新設等を担当してきた。終戦によってこれらの施設を解放し、元の持ち主に返却するためその損害補償、借地・借家の代償事務に当たった。そして十月一日から兵器科の仕事に従事することとなり、十一月末に米軍に引き渡す兵器の一覧表の作製を命じられた。これは分廠で管理していた飛行機だけでなく、すべての兵器の名称を和文・英文二通りで記載し、謄写版で印刷して一冊の本にする業務であった。すべての兵器は清掃手入れされ、格納庫内に順序よく並べられ、それに照合するように一覧表を作成した。これらのものを監視するため、召集解除を延期された兵隊を交替で付けたにもかかわらず、紛失することもあり、その補充やら一覧表の訂正をした。米軍への引渡しは十一月二十二日から二十四日の三日間に実施された。その際米軍の指示により、それらのものは次の三種類に区分された。
 
 一、米軍が接収するもの
 二、日本の各種団体に払い下げるもの
 三、スクラップとして処分するもの
 
 一は、昭和二十年十一月二十六日に米軍の駐屯していた浜松飛行学校跡に運搬して納入した。二は、すべて国鉄の浜松工機部へ納入された。三は、分廠の資材班の一般廃品と共に管財局に移管した。
 昭和二十年十一月二十六日、分廠の戦後処理事務は終了した。その後事務所の整理を行ない、十二月一日分廠本部の解散式が挙行され、すべての軍人が復員し、軍属は解雇された。