【第一航測連隊 中部百三十部隊】
第一航測連隊は水戸市の郊外で昭和十七年四月に誕生、月末に三方原の演習廠舎に入り、同年十一月、萩町に出来た新しい兵舎に入った。これは航測技術の習得を目的とした教育部隊であった。連隊は新兵に約四カ月の航測技術の基本を教え、内地や戦地の陸海軍の基地に航測および通信要員を派遣した。昭和二十年五月戦局が悪化すると、兵営での教育を断念し、教育や訓練の場を笠井町・山梨町(袋井市)・飯田村(森町)・犬居町(浜松市天竜区春野町)等の学校・寺社・集会場等に移し、分散教育を始めた。
昭和二十年七月中旬~下旬、浜松での活動が困難とみて、滋賀県の日野町に疎開することとなり、貨車三百両で、兵器・教育機材・被服・食糧等と兵員五千余名が移動した。兵員の宿舎は、日野町周辺の小学校等であった。また、残留部隊として、三百名が残務や農園作業に従事した(大村藤四郎『第一航測聯隊沿革誌』・『一航測』、村瀬隆彦「聞き書き・第一航測聯隊の歩み」『静岡県近代史研究』第二一号)。