[千葉陸軍高射学校浜松分教所]

69 ~ 69 / 900ページ
【千葉陸軍高射学校浜松分教所】
 昭和十八年(一九四三)十月千葉陸軍高射学校浜松分教所が、旧高射砲第一聯隊とその西側に設置され、旧聯隊本部に分教所本部が置かれた。昭和二十年七月二十五日本土決戦態勢を整えるため、赤穂陸軍高射教育隊編成の内命が下り、浜松分教所の部隊は編成改正され、その全部隊が兵庫県赤穂町に移駐することとなった。先発隊は設営のため早速派遣され、八月初旬に移動した隊のことは、敵の艦載機の攻撃を避けて午後に部隊のあった追分町を出発、二俣線を利用して、東海道線に入り、臨時列車編成のため、赤穂まで数日かかったと、後藤政二の回顧録『陸軍高射学校想い出の記』に触れられている。