[練兵場跡に市営住宅]

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 練兵場跡に戦前の浜松市やその周辺の村々には多くの軍事施設があり、それらの中には広大な爆撃場・市営住宅 練兵場などもあった。終戦により米軍の管理下に入ったものもあったが、これらの施設や用地は戦後の復興にとって貴重な存在となり、各方面に転用されることになる。
 『静岡新聞』(昭和二十年十一月三日付)によれば、浜松市は戦災で住宅を無くした多くの人々のために早急に建築用地を提供する必要に迫られ、元高射砲練兵場をそれに充てようと考え、同地を管理する名古屋財務局と交渉を重ね、ようやく大体の了解を得た。そこで市は財務局から使用許可が下り次第、住宅用地に困り抜いている市民に百坪ずつ貸与することにし、昭和二十年十一月三日から一千名を限度に申し込みの受付を開始すると報じている。
 
【市営住宅】
 昭和二十七年版の『浜松市勢要覧』には、昭和二十三年度に市営住宅が和地山町に建築されていたことが記されている。木造平屋建瓦葺二戸建てで、建設戸数九十戸、一戸当たり坪数は十坪、室数は二室で一戸当たり建築費は十万五千六百四十八円であった。