[学校の校地]

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【浜松工業専門学校】
 浜松市広沢町にあった浜松工業専門学校は、昭和二十年五月十九日と六月十八日の空襲で被災し、校舎のほとんどを失った。たまたま、元高射砲第一連隊内の千葉陸軍高射学校浜松分教所の建物が残っていたので、すぐに交渉して同年九月八日それを全部無償使用することが許可された。同十五日決戦態勢下の特殊事情により延期されていた昭和二十年度新入生の入学式を行い、次いで同十七日から授業が開始されたが、校舎が足りず、興誠中学校及び追分国民学校も使用しての再開であった(『大学の歴史』静岡大学工学部 二二九頁、『静岡県教育史』通史篇下巻 五四四頁)。
 同じく空襲で校舎を失った浜松第二工業学校は、浜名郡神久呂村の浜松陸軍飛行学校跡の兵舎を昭和二十年十月から校舎として使用、同二十二年十二月に現在地に出来た新校舎に移った。浜松工業学校は葵町の第百十三部隊(以前は飛行第七連隊)の兵舎を仮校舎とし、昭和二十年十二月から同二十三年八月まで使用した。中部第九十七部隊跡には三方原村立三方原中学校が、高射砲部隊跡には新津村立新津中学校がそれぞれ旧兵舎を利用して開校した。
 また、広大な三方原と浜松爆撃場、第一航測連隊跡は開拓地となり,引揚者や復員者、戦災を受けた人たちが数多く入植した。