[天皇巡幸]

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【天皇巡幸の警備】
 昭和二十一年六月十七日・十八日の両日、昭和天皇は静岡県下を巡幸された。それは同年二月より始められた全国各地への巡幸の一環で、戦後の民情視察、戦災者・引揚者・遺族等の慰問、産業奨励のためであった。十八日朝静岡から東海道線を利用して浜松駅に到着、その後浜松市役所に向かわれた(十八日は一年前の大空襲の日であった)。駅前広場から鍛冶町・大工町・栄町の沿道では陛下をお迎えする市民でぎっしり埋まったという。市役所において藤岡市長が戦災及び復興の概要を奏上し(『新編史料編五』 一政治 史料6)、陛下からお言葉を賜っている。そのほか市内で訪問されたのは、名古屋鉄道局浜松工機部、北国民学校、日本楽器製造株式会社であった。続いて、西鹿島(浜松市天竜区二俣町)にある浜名用水取入口を視察の後、赤佐村(浜松市浜北区)に向かわれ、帰路の途中、板屋町でお召自動車から降りられ、駅まで徒歩で向かわれた。この天皇巡幸は戦前と違って国民との直接の接触の機会をつくるということで、警備は簡素なものとなった。とはいうものの、数人の皇宮警部や進駐軍のMP(アメリカ陸軍の憲兵)、県の警察部をはじめ、浜松署の多くの警察官が動員された。浜松では板屋町から浜松駅までが徒歩区間であり、これはあらかじめ町内会を通じて知らせておいたため、多くの市民が詰め掛けた。陛下は市民にもみくちゃになりながら歩かれたが、このとき陛下の両側を警衛するMPが大きな力を発揮したため、辛うじて歩行が出来たと言われている(青山於菟『静岡県下御巡幸に関する記録概要』)。