【自警団】
昭和二十年十二月二十七日県警察部は署長会議に引き続き、司法主任・部長・刑事等五十名を集め近づく選挙運動の取り締まり、犯罪人検挙と防犯活動の強化徹底及び被疑者の取り扱い等を中心に打ち合わせ会議を開催した。そこで警察部長は「終戦後の殺伐凶悪事犯の激増は社会人心の道義頽廃、遵法観念の欠陥等精神的弛緩の外に悪性インフレの増兆(長)、失業者の続出等政治経済的の事由に因るが諸君は部下を督励し、信賞必罰を厳に、旺盛な活動力を以て治安維持の重責」を果たしてほしいと述べ、敗戦後の急速な治安悪化に対して、断固活動に当たってほしい旨を訓示している。『静岡新聞』の記事も治安の悪化を伝えるものが目立つ。「辻強盗の出没 夜の一人歩きは危険」(昭和二十年十二月二十八日付)といった具合である。同月三十一日付の記事では、「屈強の男子でも近頃の夜路の物騒さ、夜もろくに安眠出来ぬ悪性犯罪の横行は都市の街々辻々は勿論、農山漁村に至るまで出没、凶器使用の強盗殺人傷害事件は一夜に数件といふ激増の一途をたどつてゐる」と報じている。それに対して、取締方の警戒網も人員・機構・通信連絡等の貧困不備が伴い、とかくうだつが上らない、この調子では安閑としておられぬというのが今日このごろの気持ちだと主張する。そうした状況下、各地域では自警団を結成し、犯罪防衛を強化するほかはないと、町会・部落会・隣組でも急速に自警団組織が活発となり成果を上げている所もある。また、旧警防団の組織を活用、民間自衛機関として再生の話もあり、県民の身辺と財産の保護を我々自身で引き受ける「民営警察」の誕生の声もあがっていたようだ。ともかく、治安の急激な悪化に対して当局だけではなかなか対応できない世相があったのである。