【軍需物資】
昭和二十一年ころの新聞には軍需物資の窃盗の記事が散見される。浜松金属回収連盟支部が戦争中に収集した金属類は、昭和二十年春全部まとめて浜松市相生国民学校校庭に集積して置いていたが、終戦後には一つ減り二つ減り九月上旬までに山と積まれていた真鍮(しんちゅう)火鉢・花瓶・鉄瓶等が影もなく消え失せてしまった。同連盟は浜松署に被害届を提出。浜松署の捜査の結果、付近の住民十数名が多い者は五~六回、少ない者でも二回位の割で、リヤカーや乳母車を利用して窃盗していたことが判明、二十年十月二十五日一斉検挙となった(『静岡新聞』昭和二十年十月二十七日付)。また、昭和二十一年一月九日午後九時ころ市内居住の某は、軍需物資集積所九十七部隊の格納庫から自動車用発電器一個、ネジ廻し四丁等を盗んで警備隊員に検挙された(『静岡新聞』昭和二十一年一月十二日付)。そして、同年一月三十日の記事に、竜池村上善地在(浜松市浜北区)にあった第一復員省名古屋被服廠静岡駐在所竜池倉庫から八人が数回にわたり、衣類毛布等各人三百点位(見積価格五万円)を盗み出し、隠匿の上、これを売却して食料等と交換していたことが発覚、浜松署に検挙された、という事件もあった。犯人等はそこに勤めていた労務者であった。新聞の見出しには「八人組白鼠捕縛」と出ていた。