野荒しは敗戦後の世相を如実に示す犯罪であった。『静岡新聞』(昭和二十年十月一日付)は、静岡署(県警察部)が「食糧増産を妨げ戦後社会を□(害カ)する野荒し」の県下一斉の取り締まりを九月三十日の未明を期して実施したこと、この取り締まりで検挙された犯人の中には「…畑から甘藷、大根菜等を百姓姿に化けて盗み出しこれを盗んだリヤカーで運び出さんとした」者もいたこと、浜松署では昭和二十年九月二十九日の午後七時半より三十日払暁(ふつぎょう)にかけて、県刑事課次席警部の応援を得て、全署員を動員し一斉取り調べを行ない、甘藷(サツマイモ)十五貫(約五十六キログラム)を盗んだ三島町の男ほか十一名を検挙したことを報じている。
【食糧事情悪化】
さらに、翌年の六月六日付の『静岡新聞』には、「最近の食糧事情悪化は各地に野荒し犯人の横行を見つゝあり、日を逐つて激増の傾向にあるので、県刑事課は去る一日来連続三日間にわたり県下全警察署を動員、深更張り込みを実施した結果、挙動不審で誰何した者実に二千六百八十一人、このうち現行犯として検挙した者は八十六人に達した」こと、また、浜松署では佐藤町の焼け跡でガン豆三升を盗んだ男を逮捕したことが記されている。見出しに「野荒しは公敵だ!」とあるのも、当時の状況を考えればうなずける。