[防犯協力会支部と夜警]

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【防犯協力会 夜警】
 敗戦から二年三カ月を経ても社会の混乱が続き、市内では凶悪事件が多発し、市民は安眠を許されない状況下にあった。こうしたなか、官民挙げてその対策を協議したところ、昭和二十二年十一月末までに全市百二十三カ町が漏れなく防犯協力会支部を結成し、同年十二月から防犯活動を開始することを決めた。それによると、各町ごとに十二名ないし二十名ずつ、総勢約二千名の夜警が町に繰り出し、町の警備を担当することにしたのである。浜松警察署は防犯総本部となり、いつでも十名以上の武装警察官が待機し、消防も常設の消防と十六の消防分団も協力することになった。注目すべきは、全市二千名の夜警にはあえて拍子木を用いさせず密行していくというものであった。鳴らせば犯罪者に分かってしまうのでやめさせたのであろう。町の夜警は五、六名ずつが一団となって午後十時から翌朝五時まで受持区域を巡回し、挙動不審者の発見に努めた。これを報じた同年十一月三十日の『静岡新聞』の見出しには「強盗の街 きようから〝冬の陣〟 夜警二千人が出動」とあるように、当時の浜松はそのくらい治安が悪かったのである。農村部でも治安が悪かった所が多く、各戸の軒下に鉄板や銅板をつるし、いざという時はこれを打ち鳴らして近所に応援を求めるようにしたところもあった。