[終戦と教育内容の変化]

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【新教育方針伝達講習会】
 文部省は昭和二十年八月二十八日に、九月中旬までに全学校の授業を再開することを指示、浜松でも戦災校以外の学校の多くは九月一日に始業式を行った。ただ終戦とともに教える内容は大きく変わることが予想されたが、文部省ではその対策に苦慮し、その通知は新学期には間に合わなかった。ようやく九月十五日になって「新日本建設ノ教育方針」を発表、これには国体護持、軍国的思想や施策の払拭、平和国家建設、科学的思考力の養成などがうたわれていた。
 昭和二十年十月十五日には文部省による新教育方針の中央講習会が開催されたが、当地でも十一月一日に浜名郡北浜国民学校において新教育方針伝達講習会が開催され、青年学校長と国民学校長が出席した。ここでは今後の教育の方針が示された。新教育方針の中に、「皇国未曾有ノ苦難ニ際会シ国家再建民族再興ノ途ハ一ニ懸ツテ国民教育ノ運営如何ニ在ルノ秋過去ニ於ケル教育上幾多ノ過誤ヲ精算シ…世界ニ誇ルベキ平和的文化国家建設ノ大道ニ更生新発足ヲ為スコトト相成リタル…」とあるが、この中に、教育上幾多の過誤という言葉をこの時期に記していることは注目に値する。具体的事項としては、軍国主義や偏狭な国家至上主義の一掃、日本的民主主義の長養、画一主義の打破と独創性の涵養、実践的科学教育などを挙げ、校長に格段の留意と努力を求めた。
 十一月に入って米軍主体の連合軍が静岡県にも進駐してくることが報道された。これに対して、十一月九日には西遠地方事務所長から生徒・児童の指導について連合軍将兵の進駐にあわせて「卑屈ニ陥リ又ハ徒ニ恐怖心ヲ抱クコトナク毅然タル態度ヲ持スルコト」、「外国兵ヲ物珍シゲニ見物シ又ハ指サシ耳語振返リ見等ヲナサザルコト」、「外国兵ノ自動車其ノ他ノ物品ニ手ヲ触レ又ハ物品ヲ乞フ等ノコトヲナサザルコト」などを周知徹底させるように通知している。ただ、予定された米軍の浜松進駐は中止となった。

図2-8 連合軍の浜松進駐を報ずる新聞