【御真影奉還 奉安殿 教育勅語】
昭和二十一年一月七日、当時の校長や教員にとって驚くべき通知が市内の学校に届いた。それは西遠地方事務所長からの御真影奉還の知らせであった。文部次官からの通牒によるとあるが、一月十二日午前十時に西遠地方事務所に奉還することとなっている。なお、『和田学校百年之歩み』によれば、二月二十日に明治天皇や大正天皇の御真影も奉還したことも分かる。
こうした動きはさらに進み、昭和二十一年七月十七日、西遠地方事務所長から御真影奉安殿を撤去するようにとの通知が学校に届いた。校内・校外を問わずすべて撤去することを求めたが、通知には「教育上の考慮を十分払ひつつ…」や、「可成第二学期授業開始前に完了すること…」とあり、八月三十一日までに結果を報告せよとある。これまで御真影や奉安殿は学校中で最も大切なものとして、児童・生徒には最敬礼をさせてきたが、このような事態になり、児童・生徒が登校しない休暇中に急いで撤去させたものと思われる。ただ、中には高学年の児童も動員してこの作業をしたとの記録もある。さらに教育勅語については昭和二十一年十月八日に文部省から奉読の廃止、勅語・詔書謄本などの神格化廃止が通達された。また昭和二十三年六月に国会で教育勅語や青少年学徒ニ賜リタル勅語などの失効が確認され、西遠地方では奉安殿撤去後、歴史的文献として図書室に保管されていた教育勅語と青少年学徒ニ賜リタル勅語が同年の七月十三日に西遠地方事務所に返還された。こうして天皇制国家を支えてきた学校教育の根本はすべて排除されることになった。