[学年制の変化と授業内容の変化]

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 中等学校の学年制は、従来五年制が主で、女学校などで四年制を採用している学校もあったが、昭和十八年一月に中等学校令が改正公布され、修業年限が一年短縮されてすべての学校が四年制となった。実施されたのは昭和二十年三月に四年を卒業する生徒からであった。浜松第一中学校を例にとると、昭和二十年三月二十八日に行われた卒業式で、第四十九回生は五年で卒業、第五十回生は四年で卒業している。これはいずれの中等学校も同様であったが、浜松一中を四年で卒業した生徒は、四年生の九月から中島飛行機工場での勤労動員に従事しており、四年生ではほとんど授業らしい授業は受けていなかった。その後、昭和二十一年二月二十三日の中等学校令改正により、五年制に戻った。しかし、浜松第一中学校を例に取れば、昭和二十一年三月には、第五十一回生の九十二名が四年で卒業し、それぞれ上級学校などに進み、残りの百七十八名の生徒は翌二十二年三月に五年の学業を終えて卒業している。
 戦後の教育界の一大変革については、国民学校の項で記したが、中等学校においても修身・国史・地理科授業の停止をはじめとして、教科書の墨塗りも行われている。また戦時中の勤労動員による学力の低下を補うために、昭和二十年十月県の内政部長通達により中学校では理数科、高等女学校では理数科・家政科などに重点をおいた授業を行うよう指示している。『浜松北高百年史』によれば、浜松第一中学校では十月一日以降翌年の三月までに四年生の生徒に、一週間について数学を七時間、生物と併せて物象(物理・化学・地学などの学科)を八時間行っている。