[新教育の光と影]

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【六三制野球ばかりが強くなり】
 教育基本法と学校教育法が成立して六・三・三・四制がスタートしたが、新しい教育の基本は個人の尊重と個性を伸ばす点にあり、自由や平等の考えが至るところで強調された。こうした教育は戦前にはあまり見られず、素晴らしいものであったが、その反面、問題も数多く出てきた。「物を言う子どもたち」(『新編史料編五』 三教育 史料19)は、学校での作業を実施した際の児童の自由な本音を記した上で、「″自由”をなげあたえられた今の子供達は、教師の前で校長の前で平気でかう言ひ放てる。嬉しいやうな悲しいやうな淋しいやうな気持にさせられた。…面白いこと楽しいこと(眼前の)だけを喜ぶ子供を育ててはならない。」と記している。体育の授業では、戦前の軍国主義的な訓練の反省から、秩序運動や行進、徒手体操などは、非軍事的な態度で行わなければならないとか、個人差を無視してはいけないなどがGHQから指令されて、教師に戸惑いが起きた。こうしたことから、体育の授業は次第にだらしなくなり、ドッジボールや野球をやらせてお茶を濁すといった面も出てきた。初期の社会科においては児童の興味や関心を育てるために各地に出掛けての見学や観察、また、いわゆる〝ごっこ学習”が行われた。このため、教科の時間数に弾力性を持たせ、児童の個性尊重を考えて自由研究の時間が設けられた。しかし、こうした児童の興味を中心とした教育の結果、漢字が読めない、書けない、また、計算が出来ない児童が増加し始め、いわゆる学力の低下が問題化してきた。世間ではこれを「六三制野球ばかりが強くなり」という川柳で揶揄(やゆ)し始めた。また、戦後の混乱による道徳の退廃も深刻で、児童の生活態度もその影響を受けて多くの問題を抱えていた。浅間小学校ではこの時期、児童の言語や動作・礼儀・しつけなどの教育に熱心に取り組み、修身に変わるべき教育のあり方を追求し、成果を挙げた。