[男女共学の始まり]

129 ~ 129 / 900ページ
【男女共学 北部中学校】
 浜松市城北国民学校は高等科のみで男子だけの学校であった。これとは反対に元城国民学校の高等科は女子のみであった。戦前の小学校の尋常科あるいは国民学校の初等科では三年以上になると男女別の学級になったが、児童数の関係で男女が同級で学んだクラスもあった。こんな時には″男女組”と呼ばれて蔑視されることもあった。特に昭和十六年から始まった国民学校では、国民学校令施行規則により初等科三学年以上、高等科、特修科での男女共学を禁止していたのである。先述の『米国教育使節団報告書』や教育刷新委員会の建議、また、教育基本法第五条で「男女は、互に敬重し、協力し合わなければならないものであつて、教育上男女の共学は、認められなければならない。」と規定された。こうして実施された男女共学は、公立の新制中学校に適用されたが、私立の中等学校(翌二十三年から高等学校)の併設中学校には強制されなかった。西遠女子学園中学校は昭和二十二年四月に、誠心学園中学部と信愛中学校は同年六月に学園の創立理念の通り女子だけの中学校として開校した。
 男女共学となった新制中学校へ思春期の子どもを通わせることについては、親たちをはじめ多くの人々が心配したようであるが、『新編史料編五』の三教育 史料38・42・51に見られるように、意外にスムーズに展開したようだ。史料38にみる北部中学校の男女共学の世論調査では、「男女お互いに夫々の長所を見習つてはげみ合うから大変よいと思う」など多くの長所を挙げている。もちろん相互の問題点も記されてはいるが、お互いに協力して良い学校生活を送ろうとする意気込みを感ずることが出来る。