[新教育の開始とその問題]

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【必修科目 選択科目 積志中学校】
 新制中学校がスタートしても一学期間は何を教えたらよいか、教師にも戸惑いがあった。点昭和二十二年の夏休みにようやく新教育における指導法の講習会が各地で開かれるようになるのである。教科書はガリ版刷りのものが分冊で順次配られ、それを冊子にするといったものであった。笠井中学校の昭和二十二年度の仮通告表によると、三年生の教科は必修科目が国語・習字・社会・国史・数学・理科・音楽・図画・工作・体育・農業・商業・家庭の十三科目、選択科目は外国語・習字・職業・自由研究の四科目であった。三年生の生徒の仮通告表をみると、社会と農業は二学期から評定がついていて商業と選択科目はすべて履修していなかった。ほかの中学校では英語を選択している生徒もいるので、開校当初はすべての中学校で同一の教育課程を組むことは出来なかったようだ。昭和二十三年度になって鈴木良は県教育研究所の指導部員となって新制中学校を訪問することになったが、その記録「教育残念記」を見ると新教育がどのように行われていたかがよく分かる。昭和二十三年五月二十八日に積志中学校を訪問した折、「中学校といへば、小学校の不用教室を代用した借り住居のような趣きが今の中学校の一般的傾向である。」と記し、中学校の環境整備の遅れを指摘しているが、積志村の地域性を表す素晴らしい図表や統計が飾られていて、生徒の研究の成果が上がっていると評価している。豊西中学校では職業体験をした結果をまとめて発表していること、北部中学校では職業指導の試みが良いことなどを挙げている。ただ、昭和二十四年五月には新制中学校のもつ諸問題という項目で、教師の能力不足、生徒の学力低下などを指摘している。同年五月二十五日に神久呂中学校を訪問した時、学校からの質問事項に「理想的人間像をどこに求めたらよいか」というのがあった。これまでの教育の根本が全く変わったものの、新時代の教育の柱も建てられていない状況が続いていたのである。

図2-18 新制中学校発足当時の仮通告表