【北部中学校 中部中学校 西部中学校 南部中学校】
新教育が始まると生徒の自主的活動が華やかとなり、生徒はいろいろな方面で活動を始めるようになった。その一つに学校新聞の発行がある。市内の中学校で最も早く生徒の手で新聞を発行したのは北部中学校ではないかと思われる。第一号の発行はなんと開校してから四カ月後の昭和二十二年八月であった。男女共学の与(ママ)論調査、国立病院見学記、民主警察を訪ねて、野球部だよりなどの記事が盛りだくさんで新制中学校発足時の状況がよく分かる。昭和二十二年度には三号まで発行しているが、三号は四ページ立てで、駅伝や野球大会で優勝した選手の写真も掲載している。中部中学校も早くから新聞を発行していたようで、昭和二十四年八月に発行した『学友新聞』第六号には子供銀行、校内放送、映画についての討論会、校友会だよりなどの記事が生徒の手で見事に作成されている。西部中学校の新聞は『西中史苑』といい、新制中学校発足一年後の昭和二十三年三月に発刊された。校地も校舎もなく大変な一年であったが、一年間の歩みや、学校祭、学芸会、スポーツ特報など、また、「日本再建は『科学』の力で」などの記事が四ページにわたって掲載されている。当時一年生の記者で後に警察庁長官になった城内康光が記した記事が各所に出ている。南部中学校の『南中新聞』の創刊は昭和二十四年七月とやや遅かったが、一年間になんと九号も発行した。広告も多数入れているのが他校と違うが、いずれの紙面にも新制中学校の発展ぶりがうかがえる。最近の読書傾向や、進路については「難しい就職と案外楽な進学」など興味深い記事が数多く出ている。これらの学校新聞には当時の学校や生徒の様子がよく記されていて、新制中学校の状況を知るのにはよい資料である。