工学部は浜松工業専門学校の位置に設立され、機械工学科、電気工学科、工業化学科の三学科で発足した。初代学部長には浜松工業専門学校長の江見節男が就任した。初年度の入学者は九十八名であった。古い兵舎を補修した建物が校舎で、戦前の高射砲の格納庫は講堂や体育館等となり儀式や行事、スポーツ等に利用された。浜松市に初めて国立の大学が設置されたことは画期的なことで、市民の喜びは大きく、昭和二十四年十一月三日に浜松市公会堂において浜松工専と静岡二師の大学昇格を祝う大学昇格祝賀会が開かれた。工学部の学内が開放され、テレビジョンの公開や気象の観測などが、教育学部浜松分校では各種の展覧会、さらにスポーツ大会や音楽会なども一週間にわたって行われた。工学部となって初めての建物(本館)が落成したのは昭和二十五年三月のことであった。現在の浜松市立西部公民館の位置に浜松工専の電子工学研究施設があったが、これは大学発足からしばらく後の昭和二十五年三月三十一日の法律改正によって工学部附属の研究施設となり、テレビジョンの研究などに輝かしい成果を挙げていった。なお、浜松工業専門学校は昭和二十六年三月に最後の卒業生を送り出して廃止となった。
図2-22 静岡大学工学部