[周辺町村の幼稚園]

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【町村の幼稚園】
 戦後、昭和二十二年三月に公布された学校教育法により四月から幼稚園が新しい学制に位置付けられたことが各地の幼稚園の設立につながった。浜松市内には先述のように私立幼稚園が開園したが、市外でも赤門・入野・しのはら・河輪幼稚園など寺院を母体とする幼稚園が誕生した。公立の幼稚園として最も早い時期に開園したのは町立笠井幼稚園であろう。この幼稚園は、大正十四年に私立幼稚園として発足、昭和二十二年十月に笠井町立笠井幼稚園となった。同年十一月には村櫛村立村櫛幼稚園が村内の隨縁寺境内に設立された。設立者は村櫛村の村長であった田中蔵之助、園長は隨縁寺住職の内山達三であった。隨縁寺本堂南半分の畳の間を教室として使い、本堂前には砂あそび場・すべり台・ぶらんこなどを設置した。十一月二十日に行われた開園式で内山園長は「…『三つ子の魂百まで』と申します通り、人間の性格が、未だはつきりと定まつて居ない幼時期にこそ一生を支配する基礎が造られる…」と述べ幼稚園の大切さを強調した。また、保護者に向けては「…小学校入学前の二三年の間が教育上最も重要な時期でありまして、此の点をよく御理解になつて、真先に御賛同を頂きましたことに対して衷心より感謝申し上げる…」と挨拶している。最後に子どもたちに「…皆さんは今日から幼稚園の生徒になりました。みんなうれしそうな顔をしていますね。あしたから毎日元気でこゝへ来ませうね。ブランコやスベリ台が待つています。お話やおゆうぎもいたします。お友だちがこんなに大ぜいになりました。みんな仲よくいゝ子になりませうね。」と語り掛けた。
 和田幼稚園が和田小学校の三教室を借用して開園したのは昭和二十四年十月一日、また同年十二月一日には中ノ町幼稚園が中ノ町小学校内に開園した。これまで中学校の校舎が小学校内にあったが、両村で組合立の天竜中学校を設立し、新校舎に移ったのを契機に幼稚園が出来たのである。これと同様に昭和二十五年四月に五島幼稚園と芳川幼稚園がそれぞれの小学校内に設立された。これも小学校内にあった芳川・五島・河輪三村組合立の南陽中学校が別の位置に新築されたのを機に設立された。長上村では入学前の児童を対象に土曜日に実施した土曜幼稚園が発展して、昭和二十五年五月に村立の長上幼稚園が開園した。

図2-24 隨縁寺に出来た村櫛村立村櫛幼稚園