[盲学校・聾啞学校の復興]

146 ~ 147 / 900ページ
【浜松盲学校 浜松聾学校】
 鴨江町にあった浜松盲学校は昭和二十年四月三十日に戦災に遭い無期限休校となり、さらに六月十八日の浜松大空襲で全焼した。休校から約一年後の昭和二十一年五月二日にようやく開校にこぎつけた。校舎にあてられたのは追分町にあった旧浜松陸軍病院(戦後になって国立浜松病院と改称)で、戦前は多くの病棟や宿舎であったため、学校としては不向きであったが、関係者の多大な努力が実っての開校であった。ここは現在でいうと静岡大学浜松キャンパスの東側で、城北交番やサークルK浜松城北二丁目店のある一帯である。ここには浜松盲学校だけでなく、戦前から同じ位置にあった浜松聾啞学校も一緒に移転し、新しい教育に取り組んだのである。ただ、物不足の時代で、「点字板を買いたいと思ったのですが、製造しているところもなく、先生があちこちと知り合いに頼み、大変古いものをやっと手に入れることができました。点字用紙も容易に手に入りませんので、古本の厚紙や古葉書などを利用して点字を練習した…」 (浜松盲学校『浜盲の思い出』)のように苦労が多かったようだ。昭和二十三年四月からは盲学校・聾啞学校はほかの小・中学校と同様に義務化され、これとともに両校は晴れて県立に移管されることになった。財団法人浜松盲学校は静岡県立浜松盲学校に、同じく財団法人浜松聾啞学校は静岡県立浜松聾学校となった。県立移管に伴い、校舎の改造等の工事が始まり、学校としての体裁を整えていった。盲学校・聾学校の義務化に伴って小学部・中学部・高等部が設置された。聾学校では昭和二十三年から、これまでの手話法による教育以外に口話法による教育も始まった。なお、浜松聾学校は昭和二十五年に幸町の市営グランド近くに広大な校地を買収、同二十七年に新築落成式が挙行された。一方、浜松盲学校はそれよりかなり遅い昭和三十九年に現在地に移転することになる。

図2-25 浜松盲学校