[父母と先生の会]

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【PTA 父母と先生の会】
 『米国教育使節団報告書』の中に、「児童の福利を増進し教育上の計画を改善するために、両親と教師との団体組織の助成」という提言があった。これを受けて、各地で父母と先生の会やこれを英語の略称にしたPTAが結成されるようになった。昭和二十二年(一九四七)四月に北部中学校の初代校長として着任した下梶道治は『アメリカ教育』創刊号(昭和二十一年十二月号)の「合衆国における教師父兄会の活動」の記事を読んで以来、この研究と構想に着手し、昭和二十二年四月に開かれた初の職員会議に会の結成を呼び掛けた。教員と保護者有志に諮ったところ絶大な賛助を得て五月二十九日に県下初の父兄教師会が結成された。下梶は『北中タイムス』第一号(昭和二十二年八月十日発行)に「父兄教師会について」という長文の記事を掲載したが、これには五月以降の詳細な活動報告と将来への課題が記されている(『新編史料編五』 三教育 史料39)。委員会の設置に始まり、町別懇談会、青年夏期大学講座、県内外視察など会の活躍ぶりがうかがえる。ちなみに昭和二十二年八月二十一日付『静岡新聞』は「浜松北部中学校の教師父兄会 全国に魁け結成 米国の民主教育と一致」の見出しでこれを報じている。浜松市内の各学校でもPTAが結成されていくが、その名称や会費、予算などは『新編史料編五』の三教育 史料23に出ている。父母と教師の会、父母教師会、父母と先生の会、PTAなど様々な名前で発足したが、次第にPTAという名称に統一されていった。ただ、北部中学校のように恵まれた環境の学校では理想的な活動が出来たものの、戦災で一切を焼失した小・中学校においては、寄付金集めや労力奉仕が初期の主な活動であったようだ。