[日米交歓水上大会]

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【日米交歓水上大会】
 日米の水泳選手が浜松に来る前の昭和二十五年八月四日から六日まで神宮プールで第三回日米対抗水上大会が開催された。この試合で古橋は三つの世界新、二つの日本新(リレーも含む)を出すものの、日本はマックレーン、マーシャル、コンノなどの強力選手を擁するアメリカチームに大敗、アメリカの強さに日本人は驚嘆したものだった。戦いを終えた日米の選手が浜松駅に到着したのは八月八日の正午過ぎ、駅のホームは身動きも出来ないほどの歓迎陣が詰め掛け、駅前には数千人の市民が万雷の如き拍手で選手団を出迎えた。古橋や橋爪に激励の声が飛んだが、一段と大きな歓声はアメリカの選手団に対してのものだった。午後三時五十八分元城プールに到着、アメリカ選手一行は一万二千人の大観衆の万雷の拍手で迎えられ、続いて日本選手もプールを一周して入場式を終えた。この後は日米の選手が泳法を公開、交歓競技に入った。古橋は二百メートルリレーと四百メートル自由形に出たが、この日は新記録が出ず、優勝も出来なかった。古橋や橋爪の登場以来、日本中が水泳競技に熱中し、プロ野球を圧倒するほどの人気となったが、ここ浜松でもプールに入り切れないほどの大群衆が詰め掛けた。なお、このころ朝鮮半島では北朝鮮軍が韓国の釜山(今のプサン)近郊まで迫っており、緊迫した軍事情勢下にあった。国内でもこのような背景の下、警察予備隊が誕生するなど、東西冷戦への危機感が増していた時代であった。