[敗戦と神社]

159 ~ 160 / 900ページ
【占領政策】
 第二次世界大戦の一部として四年にわたった太平洋戦争は、昭和二十年(一九四五)八月十五日、日本の敗戦で終了した。アメリカが八月六日に広島、八月九日に長崎へ原子爆弾を投下し、ソ連による八月八日の宣戦布告という情勢の下で、昭和天皇の裁許により、日本の戦後処理方針と日本軍隊の無条件降伏を勧告したポツダム宣言を受諾し、八月十五日、天皇のラジオ放送で戦闘停止、九月二日、降伏文書の署名がなされた。敗戦国日本の政治・経済・社会・文化のあらゆる分野で、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による占領政策が徹底的に遂行された。国民生活は極度の混乱と困窮から、時間をかけて新秩序を再生させていくことになる。浜松市民はこの事態をどのように乗り切ってきたのであろうか。その精神生活の活動の証と、占領政策に起因する宗教的環境について瞥見(べっけん)することにする。
 浜松市民にとっては昭和二十年六月十八日の空襲は、無慮千百有余名の死者を出し、決して忘れてはならない日であるが、戦時中の二十七回にも及ぶ空襲と艦砲射撃を受けた罹災人口は十二万人、死者は約三千人にも上り、中心部の官公署・工場・商店・病院・学校・神社仏閣は壊滅した。
 被害を受けた官公署・病院・学校などの主要罹災建造物については、『浜松市戦災史資料』四(平成十一年三月三十一日刊)によって知られ、神社仏閣も同書に記載されている。これには神社所在地名が記載されていないのでそれを補うと、次の通りである。五社神社(利町)・諏訪神社(利町)・県居神社(東伊場町)・松尾神社(元魚町)・秋葉神社(三組町)・東照宮(元城町)・日枝神社(広沢町)・八柱神社(船越町)・稲荷神社(田町)・神明宮(三組町)・鹿島神社(海老塚町)・須佐之男神社(鴨江町)・亀山神社(亀山町)・天神社(天神町)・金山神社(栄町)・白山神社(高林町)・六所神社(砂山町)・熊野神社(龍禅寺町)・若宮神社(大工町)、以上十九社。ここに挙げられているのは、町村合併以前の旧市内の神社である。