[戦争終熄奉告臨時奉幣祭]

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【神道指令 宗教法人令 戦災殉難者追悼大法会 戦争終熄奉告臨時奉幣祭 新嘗祭】
 敗戦後の戦後処理は、GHQが日本政府に指令・勧告を発動して政治を行うという間接統治方式によった。占領政策当初の目標は非軍事化・民主化による日本改造にあったので、思想・信仰・政治活動の自由を保障した。その最初が昭和二十年十二月十五日に発せられた神道指令である。これは政府・行政機関による国家神道(神社神道)への保証・支援・保全・監督・弘布を廃止したものである。その上で宗教法人令を公布し、十二月二十八日にこれを施行した。これをもって信教の自由は保障されたが、翌二十一年二月には宗教法人令の改正があって、神社が宗教法人となることが出来た。
 この神道指令以前、敗戦直後の昭和二十年九月十三日に浜松市長藤岡兵一は通牒を発し、同月二十一日に浜松市と浜松市仏教会との合同主催で、浜松市戦災殉難者追悼大法会を鴨江観音仮本堂で挙行している(『新編史料編五』 四宗教 史料1)。
 国家神道の側の行動は仏教会よりやや遅れている。西遠地方事務所長から管内町村長あてた「戦争終熄奉告臨時奉幣祭」執行についての通牒は九月二十一日付である(『新編史料編五』 四宗教 史料2)。
 この体制下で浜松市長は、昭和二十年十月十五日、利町の総社五社神社において帰還軍人神前奉告祭を単独で開催するために、十月五日、町内会長に向けて、「戦争終結ニ伴ヒ帰還セラレタル将兵」が参列するように通知を依頼した(上村家文書「重要通知書綴」)。さらに、昭和二十年十一月十二日付の静岡県内政部長の通牒によれば、十一月二十三日の新嘗祭執行に際して、郷社一社に対して幣帛料金十二円、神饌料金八円が支給されている(『新編史料編五』 四宗教 史料3)。これが神道指令発令以前における最後の国家神道としての神事執行例であろう。