連合軍進駐がいよいよ現実化したとき、西遠地方事務所長は昭和二十年十月四日付で管内市町村長に向け(北庄内村役場文書「神社関係綴」)、また、浜松市長は同二十年十一月二日付で神社に向け(上村家文書「重要通知書綴」)、さらには可美村村長中村牧太郎は同二十年十二月四日付で各部落長に向け(可美村役場文書「神社関係綴」、『新編史料編五』 四宗教 史料5)、境内地等に英文表記の「制札又ハ標示」を建設するように通知した。その目的は「不敬ニ亘ルガ如キ行為等未然ニ防止」するためであった。
[進駐軍と神社]